大事なお知らせコーナー

 Webサイトリニューアルについて
   6月から新しいサイトで陸前高田チームの情報を提供していきます。6月以降の情報はこちらから。


 

◎ 高速料金無料の申請について
2012年9月30日まで高速無料が延長されました。

 

少林寺拳法グループの方は今までどおり「陸前高田市社協VC」で受付番号をもらい、岩手県社協に確認申請し、折り返し送られた確認証明書を最寄りの行政機関に提出し、往復の災害車両証明書を発行してもらいます。
 不明な点がありましたら本部支援対策本部または畠山でお問い合わせください。


 ボランティア保険への加入
  事前に最寄りの社協で加入をお願い致します。また、現地で加入の場合本年1月からは有料(500円)になります。
4月からは新年度となりますので昨年度加入された方も再度加入していただくことになります。
 
 

◎ 陸前高田VCの休日について

   4月からVCの休日が毎週月曜、火曜の週休2日になります。

   ボランティア活動を予定されている方は日程の調整にご注意ください。



◎ 桜ライン311 募金活動用チラシについて
  桜ライン311実行委員会の意見を尊重してWeb上にチラシのサンプルを載せないことにしました。代わりに実行委員会作成のポスター(A4サイズ、PDF形式)を希望される道院支部の方にメールでお送りします。このプロジェクトに賛同し募金活動をして下さる方は畠山までご連絡ください。

 ◎桜ライン311プロジェクト口座
桜ライン311プロジェクトの支援金を募金しています。募金の全ては桜ライン311プロジェクトの支援金として実行委員会へ送られます。
ゆうちょ銀行:記号 10340 番号 14826641
         ショウリンジケンポウサクララインサンイチイチ

この口座を他金融機関からの振込口座として利用される際は次の内容をご指定ください。

[店名]〇三八(読み ゼロサンハチ)
[店番]038 [預金種目]普通預金 [口座番号]1482664

2月末日現在入間市少林寺拳法連盟、大阪府連盟、岐阜県連盟、熊谷北道院、JRグループ、モントレー支部、埼玉県議田中龍夫様から合計17万398円をお預かりしています。

桜ライン311



 




2011年12月13日火曜日

12月10,11日・・・

ブログ更新が遅れていて申し訳ありません。
11月をもって宿泊所は一時閉鎖ですが、ボランティア活動は続いています。
何週か飛んでいますがとりあえず今回の分をアップします。
10日は米崎町脇の沢漁港3回目の牡蠣の筏作りです。今回は岡山から16時間かけて来られた4人グループ(女性2人)と一緒。ここでの筏作り支援のきっかけは三重多気道院の乾先生の活動からなのですが、まだまだ支援が必要とのことなのでVCを通して更なる支援を続けようということになり今回VCからの派遣となりました。
 浜の女性にとっては当たり前の作業らしいのですが素人の女性にはちょっと辛い作業に思えました。
が、3基完成までしっかりとやり遂げたのには感心しました。



翌11日も同じ作業ということで漁港に行ったら漁師さんたち誰もいない!
VCとの連絡ミスがあったようだった。
急遽活動現場変更。

ですが、私はちょっと寄り道。
この漁港で前回知り合った金野さんという方と偶然出会いました。是非にとお誘いを受け金野さんのリンゴ畑へ案内していただきました。この津波で自宅が流されていくのを見ていたという場所でした。
ボランティアの人たちに食べてもらいたいと車のトランク一杯になるほどのリンゴをいただきました。
頂いたリンゴはVCでこの日活動していた方々にお持ち帰りしていただきました。

午後からは他の方たちと合流。
この畑から見下ろすことの出来る田んぼの側溝の泥上げでした。
実際行ってみると泥というよりヘドロ。
11日、3・11からちょうど9ヶ月です。排水が出来ないままの側溝です。なかなか捗らず大変でしたが誰一人音を上げず時間いっぱい泥まみっれになって作業を続けました。
まだまだ手つかずの場所がたくさんあります。まだまだ支援が必要です。更なるご支援をお願い致します。

2011年12月4日日曜日

11月23~27日 蕨市スポ少 山本さんからのリポート


蕨市スポーツ少年団 山本正克です。
今年度 最後(11/23~27)の復興支援ボランティア活動に参加して参りました。
2011.3.11 突然起きた千年に一度ともいわれる東日本大震災から、もうすぐ 9ヶ月が経とうとしています。
今回は、SONY支部根本さんからお誘いの熱いメールをいただき、急きょ拠点入りを決めました。
埼玉入間道院 畠山先生、拠点を守る畠山先生お兄さんご夫婦、本山 少林寺拳法連盟 総裁をはじめとする本部先生方のご尽力により、安心してボランティア活動を
させていただけることに感謝しています。
私は、震災から三ヶ月になる少し前からボランティア活動をはじめ、今回で5回目、陸前高田での活動期間がちょうど30日になりました。
12月~来年3月まで拠点が閉鎖となりますが、引き続きボランティア活動をしていく所存です。
今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。
 【11/23】
 PM4:00 三軒茶屋道院 斉藤さんと二人で、拠点を目指しました。
斉藤さんとは、夏に富山の整体師の先生とお越しになられた時に初めて拠点でお会いしました。
まったくの偶然ですが、お互いの子供が 同じ中学校の同級生・同じクラス!!という関係を知り、ボランティア活動以外でも頻繁にお会いするようになりました。
 【11/24】
 早朝拠点の物置の補修工事を終え、ボランティアセンターへ。
センターでは、いつも大変お世話になっている 岩手東山道院 伊藤先生と合流し、3人で広田地区の枯木の伐採を行いました。
当日は風が強く、少人数での活動の上、伐採する木が太いこともあって、作業が思うようにはかどりませんでした。
しかし、伊藤先生、斉藤さんの懸命な体を張ってのチェンソーと格闘する姿は、すばらしいものでした。
私はチェンソー初体験で、危険のないように倒木の解体と丸太運びに従事しました。
 活動終了後、斉藤さんは急いで埼玉に戻られました。
なんでも同士が特昇をひかえているため、夜から練習に参加されるとのこと。
このようなハードなスケジュールをこなされる姿は、私には到底真似はできません。
 伊藤先生も稽古日のため、急いで一関に戻られ、夜には再び拠点へ戻ってきて下さいました。
お二人のアクティブな姿に、ただただ圧倒される日々です。
 【11/25】
 起床すると伊藤先生が、ご親切に凝り固まった私の体を整体をしてくださいました。
先生の整体は、「お手当て」というように温かく、心の芯まで癒されたことを覚えています。
私も先生に教わりながら、心を込めて整体をさせていただきました。
本日は、畠山先生、伊藤先生、山本の三人でボランティアセンターに向かう予定でした。
 しかし、急きょ三重県から三重多気道院の乾先生が3名で、漁業組合を通じてカキ養殖のいかだ作りのボランティアとして現地入りされるということで、
広田漁港のいかだ作りに合流することになりました。
 乾先生は、私が震災のボランティアをするきっかになった方です。
今から十数年前、乾先生が埼玉武専に本部派遣教師としてお越しになられた時に、阪神大震災復興のボランティア活動をされたお話をされました。
特に記憶に残っているのは、仮設住宅にお一人でお住まいのお年寄りを気遣い、お世話をしているというお話でした。
また、乾先生は中学校教員として生徒に少林寺拳法を授業で教えておられ、その様子のビデオを後ほど送っていただき、お借りしたことがありました。
乾先生が陸前高田には何度も来られていると知り、私はいつかお会いできるだろうと心待ちにしていました。
 カキ養殖のいかだは、大変大きなもので(おおよそ 7m×5m位の長方形)、直径15㎝強の檜(下部)・杉(上部)の丸太を格子状につなぎ、
ブルーシートで包まれた直径80㎝位の浮き8個で支えているというものでした。
丸太つなぎは、丸太にドリルで穴を開け、その穴に下からボルトをハンマーで延々と叩き、止めるというものでした。
これは修行のような、大変な作業でした。
しかし、漁師さんとの会話や親切丁寧なご指導により、少しずつこつをつかみ、楽しくお手伝いすることができました。
 昼食は漁師さんの現在のお住まいである、仮設のプレハブ住宅でごちそうになりました。
60代半ば位の漁師さんは、食事の間、津波の話をしてくれました。
目の前で父親が逃げ遅れて、津波に巻き込まれていく様子をみたといいます。
どんなお気持ちだったでしょうか。
私は黙って聞いていることしかできませんでした。
乾先生とごいっしょに来られた元神戸中道道院の中野先生からは、阪神大震災の体験もお聞きし、涙がこぼれました。
 話は変わり、私は今年最後の活動として、ある方にお会いしなければいけないと考えておりました。
それは6月に、2回目のボランティアで訪れた、お年寄りご夫婦に会いに行くことです。
 小友町矢ノ浦にあるこのお宅は、海から20メートル位はあるだろと思われる高台にあります。
訪れた時、築250年といわれるご自宅は、窓が外れ、床は剥がされ、壁には床から260センチの高さに津波の後が残っていました。
一関の保母さん、宮崎・福岡の警視庁OB、私と4人で片づけのお手伝いをさせていただきました。
しかし、お年寄りのご夫婦は片づけることよりも、人が来てくれることが嬉しいご様子で、お食事をふるまってくれたのです。
大変申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
お宅を片づけることはほどほどで、ほとんどがお話するだけになってしまいました。
 しかし、その時に気づいたのです。
こういった心のケアというのでしょうか、お話をする目的だけのボランティアもあるのだ!と実感したのです。
ご夫婦にお元気になってもらうために、九州の方々は宮崎名物:ひょっとこおどりを披露したり、私は床がぬけたお部屋で、天地拳を披露したりしました。
こちらのお宅には同じメンバーで、ボランティアに3回訪れました。
現在は家の中はきれいに片づいて、ボランティア団体が入ることはなくなりましたが、
初めていっしょに訪れた4人は、ボランティア活動に訪れる度に、じっちゃんとばっちゃんの顔を見に訪れるようになりました。
 10月には、ばっちゃんからお手紙をもらい、私の一生の宝物になりました。
 夜には、本部 藤井先生、埼玉早瀬道院 林先生ご家族3名・大場さん・若林さんが拠点入りしました。
 【11/26】
 早朝 SONY支部より 3名(根本さん、東野さん、吉村さん)、三軒茶屋道院 日向さんが拠点入りしました。
 根本さんとは、6月以来の久しぶりの再会です。
今回は少林寺チームとしては12名(入間:畠山先生、本部:藤井先生、早瀬:林先生はじめ 5名、SONY支部:3名、三軒茶屋:1名、蕨スポ少:1名)で、一昨日行った現場で、枯木の伐採に向かいました。
ボランティアセンターで出会った 3名と合流し、合計 15名体制でのボランティア活動となりました。
3名は林業のプロということで、前半は少林寺チームは大所帯ながらサポートするという段取りで活動に取り組みました。
 プロの方々は時間をかけ、慎重を心がけた作業を展開します。
少林寺は、チーム内の意思の疎通を生かした、スピードのある作業を進めていくことを望みました。
しかし、枯木の伐採は大変危険を伴う作業です。
お互いの意思の確認ができないままだと、作業に支障をきたします。
後半は、お互いに声を掛け合って、協力して行うことができたように思います。
林先生、藤井先生の伐採の様子は、非常に豪快そのものでした。
畠山先生は、的確で見ていて安心できました。
根本さんのチェンソー裁きは、マニュアルを見ているようでスムーズに我々を誘導してくれました。
とても清々しい気持ちで、一人のけが人もなく活動できたことに感謝いたします。
 いつも活動を通して感じることですが、少林寺は道場の中だけの活動ではないのですね。
経験のない者でも、お互いに協力し合って、荒削りながらひとつの成果を生み出す。
拠点に来られる方の少林寺拳法をされている姿を見たことがありません。
しかし、一人一人の行動をみて、少林寺の目指す真の姿を見たと思い、本当に来てよかったと毎回感激させていただいています。
 夕方には、JR四国より6名(大田先生、泉さん、浅野さん、梶間さん、森下さん、岩田さん)がお越しになられました。
花巻南道院 立花さんも拠点入りされました。
また、夏に大阪から来られた炊き出しでチームで、一緒に活動された陸前高田の女子柔道チャンピオンの菅野綾子さん、千葉からボランティアに来られた飯野さんも拠点に駆けつけ
多くの方と親睦がはかられました。
 JR四国の大田先生からは、『第10回JRグループ少林寺拳法合同練習交流会』としての行事を、被災地陸前高田でのボランティア活動とすることで急きょ拠点入りしたと伺いました。
 また、拠点で皆が一同に集まって、少林寺拳法30周年記念ビデオを鑑賞し『いまこそ、何を行動すべきなのか、開祖ならいかに行動とられるだろうか』と互いに話し合いました。
開祖 宗道臣先生 生誕100年にあたる年に、東日本大震災があったということは、少林寺拳法の拳士として金剛禅運動を展開するうえで、深い意味があるのだと感じました。
 我々少林寺拳法の拳士が安心して復興支援活動ができるのも、埼玉入間道院 畠山先生が拠点を立ち上げ、お兄さんご夫婦が拠点を守り、温かく迎えてくれることを忘れてはなりません。
 一時拠点閉鎖となりますが、これまで大変お世話になり、ありがとうございました。
私は今後も、少林寺拳法復興支援活動として、陸前高田に訪れたいと思います。
被災地での活動を通していろいろな方々と出会い、私の人生そのものの考え方が変わった気がいたします。
復興支援活動が細くとも長く、人々のために役立つ活動となるよう、私は活動を続けていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。








2011年12月1日木曜日

11月26,27日・・・

今月はブログの更新が著しく遅れています。時系列がチグハグになってすみません。
ソニー支部根本さんからのリポートが届いたのでご紹介いたします。



11/26(土)、27(日)の活動についてご報告致します。
2日とも広田町平畑にて伐木作業を行いました。
潮をかぶって枯れた松の木を切り倒し、玉切りにして片付ける作業です。
以前からの続いている場所での作業ですが、最後に残った民家と電線に近いエリアでの伐木で危険を伴うものでした。






■■■ 11月26日(土)12名 ■■■
埼玉入間(畠山先生)、本部(藤井先生)、埼玉早瀬(林先生御一家3名、大場さん、若林さん)、三軒茶屋(日向さん)、埼玉蕨スポ少(山本さん)、ソニー(根本、吉村さん、東野さん)














※ボランティアセンターにて


















※以前作業を行ったエリア

















※今回の作業エリア


















※藤井先生ご苦労様です。

















※家の近くに倒れました。









※倒れるぞー!!

















※1日目の作業を終えて




■■■ 11月27日(日)18名 ■■■
埼玉入間(畠山先生)、本部(藤井先生)、埼玉早瀬(林先生御一家3名、大場さん、若林さん、飯田さん)、岩手東山(伊藤先生)、JR四国(大田先生、泉さん、浅野さん、梶間さん、森下さん、岩田さん)、花巻南(立花さん)、ソニー(根本、東野さん)


















※2日目は前日の2倍以上のペースで作業が進みました。


















※人数が多いとあっという間に片付いてしまいます。


















※オレンジのベストは目立つので安心です。


















※浦田代表が視察に来られました。




















※浦田代表、畠山先生、JR四国のメンバー。


















※全員の集合写真。


2日間で12本の杉の木を倒しました。
ボランティアセンターの方は全部倒したことを聞いて驚いていました。
初対面の方との作業でも、直ぐに最高のチームワークを発揮できるのは少林寺拳法の強みです。
そして恐れを知らない大胆さと危険を察知してブレーキを発動出来るバランスも備わっていることに関心させられます。
怪我なく作業を終えることが出来たことに感謝します。


■感想
陸前高田の復興まで7、8年はかかると聞いてます。
玉ノ湯でお会いする現地の方からは、まだまだその苦しみがこちらに伝わってきます。
心の復興はもっともっと長い月日を要することでしょう。
私が出来るのは、湯船の中で自然な気持ちで普通のように接することだけでした。
苦しみながら仮設で冬を越さなければならない方がいることを忘れず、これからも常に謙虚な気持ちで活動に参加したいと思います。
今年の活動はこれで終わりますが、来年も引き続き支援を行いたいと思います。
道場とは板の間の四角い空間でなく、この悲惨な現実が存在する社会こそが、この色々なものが湧き出てくる自分の心の中こそが、本当の意味での生きた道場だと思います。


1人でも多くの方が来年も活動に参加されますことを願っています。


来年の活動は、伐木作業、養殖筏作り、桜ライン311、という大事な作業を予定しているとお聞きしました。
特に養殖筏は、震災前は300基あったものが壊滅状態で復旧はまだまだのようです。
漁師の方の生活に関わること故、1日でも早く復旧させて上げたいです。


以下、今後の活動に役立つサイトをご紹介致します。
特にチェーンソーは危険な作業なので、事前に基礎事項の確認をされることをお勧めします。


■チェーンソーの基礎
http://www.ringyou.net/lecture/vol01/index.html


■養殖筏作り
http://brother-e.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/07/post_6160.html


■桜ライン311
http://sakura-line311.org/
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2011年11月29日火曜日

宿泊所冬期閉鎖

4月解説の陸前高田復興支援陸前高田チームの宿泊所を一時閉鎖します。
開設以来途切れることなく毎週にわたり多くの支援者にご利用いただきました。
夏場には水道が使用できなくなったり、ガスボンベが空になったり、テントが風に飛ばされお預かりした支援物資を濡らしてしまったりと様々な不行き届きがあったにもかかわらず何とか大過なく本年の活動の拠点を維持することができましたのは参加された皆さんの御厚意によるものと深く感謝申し上げます。
本来ならば参加された皆さん個々にお礼をしなければならないのでしょうがあいにく手が回りません。この場で御礼申し上げることをお許し願います。ありがとうございました。

来年は4月から再開する予定ですが桜ラインプロジェクトの支援の都合上、3月10日から開所することになると思います。プロジェクトの進捗状況、天候の具合によって変更はあり得ますが時期が近づいたらこのブログでお伝えします。

宿泊所は一時閉鎖となりますが被災地の復興に向けては冬期間でも様々な活動が行われています。
その支援そのものを中止するわけではありませんので必要があればその都度利用は可能です。
ご事情のある方は今までどおり畠山までご連絡ください。

24日早朝陸前高田市矢作町ループ橋
白いのは雪、黒い部分凍結。私が通過した約一時間後に通過した乾先生によると
下り線が大渋滞になっていた・・・らしいです。

2011年11月23日水曜日

11月13日夜・・・(鹿との遭遇)

車で移動していると時々はっとする場面に遭遇することがあります。
台風一過の早朝拠点入りする時路上に倒木があり急ブレーキを踏んだことはこのブログでも紹介しました。
今度は鹿の遭遇です。桜ライン311実行委員会事務所から宿泊所に移動の際、竹駒町舘付近。
田舎道は車も少なくついスピードを出しがちですが油断は禁物です。


鹿はかなり頻繁に現れますのでけっこう衝突事故が多いそうです。天然記念物のカモシカもしょっちゅう現れるらしいので夜間走行には特に注意が必要です。

2011年11月18日金曜日

11月4日(木) in 気仙町

本日は前日に続き同じ活動場所です。
メンバーは、埼玉早瀬の林先生ご一家・本部藤井先生・吉田さん・向井先生・元本部落田さん・サポーターnon&toyoの9名。


前日よりグッと減員しましたが、さすがは少林寺拳士のみなさん。
まったく問題ないです。

運動不足の現代人の5倍速を思わせる無駄のない迅速な動作かつ、さらに磨きのかかった連携プレイ。相変わらず見事です!




       【作業開始】 敵はトタン屋根の解体


  

        【たった5分後】 分解完了


      
            そして軽トラで表へ




           2時間でほぼ津波前の景色に


その後、満足感にひたりながらの昼食です。
何度もご一緒しているメンバーですので、談笑しながらのランチタイムもまた素敵な時間です。
林先生お手製のおにぎりや奥様お手製の卵焼きにソーセージ♪
いつもありがとうございます!


充電完了後、快進撃はまだまだ続きます!
午後からは竹やぶから瓦礫やら竹やら竹やら…度重なる運搬に軽トラは大活躍しました。



この時に開発された『吉田式』と呼ばれるスーパーな荷下ろし方が、のちに残念な結果となるとも知らず、運搬班4名はそれは楽しそうに、そしてスゴイ勢いで片づけられていきます。



           結果報告 ↓↓




      お気づきですか?サイドミラー取れました。

2011年11月17日木曜日

11月3日(水・祝) in 気仙町

この日のメンバーは、埼玉早瀬の林先生ご一家・秋田県大館の中学生御一行・本部藤井先生・吉田さん・サポーターnon&toyoの合計30名ほどで活動しました。


本日は津波の終着点である林のがれき拾いです。

震災から8カ月を経過していますが、手つかずのまま放置された場所はまだまだ存在しており、不自然に散らばったがれき・日用品を拾い集める作業は今もなお続いております。


まずは林の中の沢を中心片づけを始めることになり、上から下へとがれきを引きずりおろしては表へ出し、水辺からがれきを拾い上げては表へ出しの繰り返しです。


単純明快かつ重要作業。


初対面同士でもなぜかいつも素晴らしいチームワークが出来上がる少林寺チームによって、今日も着々と作業は順調に進みます。
水辺ともあって終始足場が悪い中、活動すること2時間。本来あるべき姿に戻すことができました。


午後は、林を上まで登り午前中同様とにかく下へとがれきを落とし、そしてまた表へと出します。しかし、ここはなかなかの広面積と急斜面。
この難所へは中学生が率先して活動をしておりました。

大館班は午前4時出発で寝不足だったと思いますが、さすがは若者!疲れを感じさせることなくあり余る元気で終始楽しそうでした。

2011年11月8日火曜日

桜ラインが植樹開始 

桜ラインが植樹開始 ボランティアら19カ所に35本
3月の開花に期待

 

東日本大震災による津波の到達点を桜の木でつなぎ、後世に震災の事実を伝えようと結成した、陸前高田市の「桜ライン311」実行委員会(橋詰琢見代表)による第1回の植樹は6日、高田町の浄土寺など市内19カ所で行われた。県内外からのボランティアが参加し、35本のサクラの木を津波の到達点に植樹。1本1本が被災地に根付き、後世に3月11日のことを伝えようとの思いで植えられ、来年3月の開花に期待を寄せた。活動は今後も続けられ、実行委側では1万7000本の植樹を目指す。>>全文
2011年11月08日付 5面
Web東海新報:
http://www.tohkaishimpo.com/

この日私は午前中をVCの活動で小友町唐笠松のガレキ撤去を埼玉早瀬林先生ご家族と共に行い、午後からこちらの植樹を手伝うことになっていましたが昼ごろから降り出した雨のため中止となってしまいました。

10月29日 東京浮間道院 

29日に活動に参加された拳士の方からのリポートが届きました。


合掌
畠山先生
東京浮間道院の石崎良輔です。
1029日(土)に陸前高田でのボランティアに参加させて頂いた際には、畠山先生、先生のお兄様ご夫婦には、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
以下、レポートをお送りします。

【陸前高田市のボランティア状況】
陸前高田市に来るボランティアの人数は、平日300名、土曜800名、日曜500名程度とのことです。震災が起きてから半年以上経った今でも、陸前高田市で継続してボランティアを行っているスポーツ、武道団体は少林寺拳法だけでした。少林寺拳法をやっていて本当に良かったと思いました。僕は一人での参加でしたが、1029(土)は全国各地から過去最多の約50名の拳士が集まっていました。

【活動拠点と必要なもの】
少林寺拳法のボランティアチームが拠点としている施設(公共施設を借用)は、ボランティアセンターの目の前にあり、寝具、作業道具(安全靴、手袋など)、飲食物など設備が充実していました。自分で負担したものは、ボランティア保険(約1000円)、作業着(約700円)、靴の中に入れる鉄板(約700円)くらいで、後は交通費だけでした。

【作業内容】
作業内容は、斜面の瓦礫撤去です(写真1)。
土の中からは、瓦、木材、網(漁港が近いため)、ビン、様々なものが出てきます。これをひたすら取り除く作業をしました。なかなか疲れますが、終わったあとを見るとちょっと達成感がありました。僕が作業したことは、被災地全体を考えるとほんの一部なのですが、こうやって少しずつ前に進むことが必要だと思いました。


                            瓦礫撤去中


                    撤去した瓦礫
         
作業が終わって、ボランティアセンターに戻ってくると、スタッフの方々から「お疲れ様」という言葉と、暖かい飲み物とお菓子を頂きました。これがなかなか嬉しかったです。

【被災地の状況】
災害から半年以上が経ち、表面的にはずいぶんと片付けられていて、町があったというよりは大きなスクラップ工場に来ている感じでした。しかし、瓦礫を良く見ると、布団などの日常製品があり、確実にここには普通の生活があったのだと感じました。今でも、瓦礫撤去中に遺体が見つかるそうです(今は骨になっているようですが)。亡くなった方やその家族のことを考えると、言葉にできない思いになりました。
    

               町中の集められた瓦礫
  



【感想】
東京から片道8時間近くかかるため、作業自体は丸一日にしましたが、本気で復興させようとしている人たちと出会えたことと、現場の悲惨さを感じることができたのは、貴重な経験になりました。畠山先生は、金曜夜に道院で練習をした後、7~8時間も寝ずに運転をして翌朝からボランティアに参加し、夜は一緒に飲みながら話しをして下さるという鉄人のような方でした。
初めは緊張していたのですが、畠山先生の明るさですぐに緊張が取れました。ありがとうございました。一日も早く被災された方々に笑顔が戻ることを願うと同時に、協力したいという思いが強くなりました。現場で得た経験を周りの人たちに伝えたいと思います。

結手

2011年11月4日金曜日

10月29日 武道学園

10月29日に活動をされた学生さんたちからリポートが届きました。



11.10.29 ボランティア活動を終えて≫



日本武道館武道学園 及川昌浩

震災から7か月半が過ぎた1029日、道場の仲間たちとともに、初めて被災地・陸前高田を訪れました。道場の仲間は、夏に一度現地を訪れています。現地の惨状と、作業の様子を耳にするたび、参加したかったという思いが強まる中、再度仲間とともに陸前高田を訪問する機会を得ました。
今回のボランティアセンターで割り付けられた活動は、漁港にある側溝の掃除でした。水産業に従事する父の背中を見てきた私にとって、漁港は特別な意味のある場所です。津波が運んできた泥やガラスの破片、木材などがつまり、もはや役目をはたせていない側溝の『復元』。私たちが活動する傍らでは、漁業者の皆さんが漁の準備をされていました。私は途中で指を傷め、恥ずかしながら脱落してしまいましたが、午後3時に作業が終わった際には、役目を果たせなかった側溝が、本来の役割をはたせるようになっていたと聞きました。
大人24人でも、一日かけて小規模な漁港の一部を『復元』するのが精いっぱいという現実を前に、先は非常に長くても、個々人の力を皆で出し合い続けることの意味を、少しとはいえ、わかることができたと感じています。
陸前高田は決して近い場所ではありません。移動には往復とも、バスで長時間揺られ続けることになりますが、また次回も、ぜひ機会を作って、私のできることをさせていただきたい・・・そんな思いを強くしました。




日本武道館武道学園 冨永眞哉

午前6時、東京から夜行バスで7時間、陸前高田市を初めて訪れました。同じ道場の仲間と共に、全国各地からの有志と災害ボランティアセンター(VC)で合流しました。各チームに割り当てられた作業ポイントに向かう途中、現在も弱震が観測されるため「常に高台をチェック」、散乱物には「鉄釘やガラス片があり怪我や破傷風等の対策が必要」と注意事項を伝えるVCの方の真剣な表情から参加した皆さんも緊張感が感じられました。現場では、漁港の側溝の汚泥除去、生活道路を確保することが主な目的でしたが、慣れない作業が予想以上にはかどらず、人海戦術には限界があると痛感、それでも朝方に比べれば大分きれいになっていったと思います。チームワークによる充実感とともに現場を後にしましたが、復興の道程を思うと私には虚無感が押し寄せ、海外の友人が「東北は大丈夫か、日本が心配だ」と言ってくれたことを思い出していました。時間と共にメディアが遠のくように、最近はそのような声も聞かれなりつつありますが、継続的、反復的な関わりが必要と感じます。VCには多くのニーズが寄せられ、前のボランティアの作業を引き継ぐかたちでの力が求められており、行動で応えている人たちに触れ、点と点をつなぐように支援活動が続いていることを改めて感じます。



日本武道館武道学園 及川愛

今回は2回目の参加ということで、前回(7月)よりどれくらい街の復旧作業が進んでいるかが一番気になる事項でした。土曜の朝、少し早く着いたこともあり、前回作業させて頂いた長部漁港を見に行きました。
前回の活動後の畠山先生のブログで
「学生さんたち明日この場所を見れないのがよかったかもしれない。 潮が引いた後には昨日の作業開始前と同じような光景を見ることになるのだから・・・」
と書いてあったのを拝見し、「前とそんなに変わっていなかったら…」とすごく不安だったのですが、山のようにあったガレキがすっかりなくなっており、驚きとある種の安堵が沸き起こりました。(他の前回参加者のみんなも同様の反応でした)もちろん、壊れた倉庫や事務所ビルはそのままだったので、まだ復旧の時点にも到達していないのですが、少しずつでも復興に前進されていることを私にとって感じたひと時でした。
今回の作業は獺沢漁港の側溝の土砂の取り除き作業でした。それほど範囲が広いわけではなかったのですが、土の重さと細かいガラスの破片の影響でしょうか遅々として作業が進まず、結局自分の中ではすごく中途半端な状態でおわってしまい、残念でした。     
船が港に付いており、又海にも養殖用の筏が並んでおり、皆さんが通常の暮らしに戻るべく努力をされている状況を見させていただき、私たちが「ちょっと頑張れば出来ること」と感じるものが、現地の皆さんには「そのちょっと」が本当に難しいのだと、改めて学ぶことが出来ました。
今までは「“復興”という道路の真ん中に横たわる大木を取り除く」作業がボランティア活動の主であった部分が、これからは「復興への道を進まれる皆さんの横に転がる障害物を取り除いて、少しでも歩きやすくする」作業が増えていくのだと思いました。   
今後も本当に皆さんのお役に立てるような活動をしたいと思っています。また次回行かせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。





遡って10月15日・・・

秋田県連さんの活動が秋田県庁支部の和泉様から届きましたのでアップします。


    


            岩手県陸前高田市への支援活動について


                                          H23.10.17
                                          少林寺拳法秋田県庁支部  和泉 克


  このたびの支援活動は、10月15日(土)に陸前高田市で行った。
 40~50人の団体活動による支援で秋田県社会福祉協議会が準備したバスで、一般県民と同一行動をとった。
 隣県だが、片道4時間はかかる遠路で、日帰り支援をしたため8時間も乗車していた。
 10時頃から、各県市町村等から派遣されたボランティアセンターの職員の説明を受けたが、「自己責任による参加」「けが人が出ていること」「遺体ではなく、遺骨が出た場合の現場検証」等被災地の現実を感じた。
 今回の支援内容は、ボランティアセンターから30分移動した、中心地から少し離れた沿岸部の被災して流出したと思われる漁師宅跡に畑を造成するので、土を掘り起こしガラス、石、貝殻等を取り除く作業であった。中には、直径1m近くの石も流されてきており、排出に相当な困難を伴った。
 参加者は、1/3が福祉の心をもった女性、残りは若手から中高年にいたる男性であった。
 県庁支部からは、3人参加し、西支部から参加した4人とも連絡を取り合った。
 支援活動は、くれぐれもけがのないようにと繰り返し伝達され、「もう救急車で運ばれる人はみたくないんです。」とボランティアセンターの職員から伝えられていた。
 毎日、こつこつとリレー方式で継続する力こそ、本当の支援となりうると実感した。
 今後も機会を設けて支援してまいりたい。




2011年11月3日木曜日

10月29、30日・・・


一緒に活動したソニー支部の根本さんからレポートが届いたのでアップします。



畠山先生

お疲れ様でした。
ソニー少林寺拳法部の根本です。
今回も大変お世話になりました。
畠山先生、お兄様ご夫妻のサポートに心より感謝致します。
また、無料で新聞や食べ物を拠点に届けて下さる新聞屋さんに感謝致します。
我々に活動拠点を提供して下さり、更に我々の活動をサポートして頂いている横田の皆様がいることを忘れません。

29日、30日の活動を分かる範囲で報告致します。

■■■ 10月29日(土)49名 ■■■
2班に分かれた活動になりました。
■ボランティアセンター作業:33名
埼玉入間(畠山先生、田内さん)、岩手東山(伊藤先生)、三軒茶屋(渡辺さん)、埼玉戸田(3名)、日本武道館 武道学園(渡辺先生他 24名)、東京浮間(石崎さん)、ソニー(根本)

広田湾の漁港で、崖のような斜面の瓦礫掃除、港の側溝掃除、土砂崩れで見えなくなった側溝の掘り出し作業を行いました。
どの作業も年配の方には難しいものです。

港の海は透明度が高くとてもきれいです。
ここも1.5メール沈下しており、潮が満ちると岸壁の上まで海水が来ます。










2011年10月31日月曜日

10月31日陸前高田VCより

本日陸前高田VCは来年も引き続き活動を行うことが決まったようです。
私たち陸前高田チームもさらに体制を強化して支援活動を行なっていきます。
拳士の皆さん始めOB,保護者の皆さんの更なるご協力をお願い致します。

陸前高田市社会福祉協議会
http://rikutaka.ti-da.net/e3666597.html

2011年10月26日水曜日

遡って9月23、24,25

9月の連休に各地から30名を超える方々に活動していただきました。その模様はソニー支部根本さんから投稿をいただきご紹介させていただきました。
この時、茨城つくばの後藤さん親子が参加されており息子さんから活動の感想が寄せられましたのでご紹介します。

9月の連休に父と共に陸前高田市の少林寺拳法ボランティアに参加しました。夕方に
ベースキャンプに到着すると全国から集まった拳士の方がバーベキューで盛り上がっ
ていました。夜は畠山先生のご実家におじゃまさせて頂き、上野先生、畠山先生、畠
山先生のお兄さん、先輩方に囲まれ、とても緊張しました。

翌朝、初めて陸前高田の被災状況を見ました。何度も被災地で活動している父の話
や、日々報道されるテレビを通じて、被災状況を良く分かっているつもりでしたが、
実際に甚大な被害の陸前高田の街を目の当たりにすると、ここで沢山の大切な命が失
われた事、生活や財産が奪われた事を強く感じ、悲しさと恐ろしさとで呆然としまし
た。

作業は仮設住宅の裏山の頂上にある雨水タンクと仮設住宅を繋ぐ水道管を敷設する工
事でした。震災から半年たっても、まだ水に困る状況を見て、報道されている以上に
被災された方が色々な不便や苦労の中、復興にむけてがんばっているんだろうなと感
じました。

作業の途中、仮設住宅の住民の方から焼き芋や栗やジュースの差し入れを頂きまし
た。作業靴や道具を洗うのも手伝ってくれました。また作業後には「本当にありがと
う」と声をかけて頂き、疲れが吹き飛びました。

水道管工事は少林寺拳法チーム全員のがんばりで数時間で完了しました。その後は海
岸に移動し、津波によって出た倒木や瓦礫の撤去作業を行いました。一日で完全には
撤去が完了しませんでしたが、それでも皆で力を合わせ撤去した倒木や瓦礫の大きな
山が出来ました。

ひとりのボランティア作業で出来ることは少なく小さな事だけど、小さな力でも集ま
れば大きな力になる事を実感しました。私に出来ることは小さいですがこれからも参
加していきたいと思います。ご一緒させていただいた皆様、お世話になりました。あ
りがとうございました。

茨城つくば道院 後藤 健 (高校2年)

2011年10月25日火曜日

桜ライン311プロジェクト支援活動始まる

入間市少林寺拳法連盟は陸前高田市で始まった「桜ライン311プロジェクト」の主旨に賛同して募金活動を始めました。
全国の道院、支部、スポ少にもこのプロジェクト支援の輪が拡大していって欲しいと願っています。

2011年10月19日水曜日

桜ライン311 (Web東海新報 10・19)


津波到達点に植樹を 「桜ライン311」設立
11月6日に初回活動へ

 東日本大震災による津波の到達点を桜の木でつなぎ、後世に震災の事実を伝えようと、陸前高田市内の青年団体を中心とした「桜ライン311」実行委員会が設立され、16日、総会が米崎町の自然環境活用センターで開かれた。総会ではプロジェクトの趣旨、活動日程などを確認。今後は市内の津波到達点である土地の所有者らから協力を募り、11月6日(日)に高田町の浄土寺をはじめに被災地各地で植樹活動を行う。
大津波で壊滅的な被害を受け、多くの犠牲者を出した陸前高田市。その後、1000年前に今回と同規模の津波が三陸沿岸を襲ったことが報じられ、「震災前からその可能性が叫ばれていれば」と悔しさをにじませる声が相次いだ。



全文は下記URL「Web東海新報」をご覧ください。
http://www.tohkaishimpo.com/

なかなかいいプロジェクトだと思います。

2011年10月13日木曜日

10月13日陸前高田市VCより

これからの時期陸前高田市は厳しい寒さを迎えます。
外での活動は辛い日々が続きます。しかし休む暇はありません。
冷え込もうが雪が積もろうが明日に向かって進むしかありません。
ボランティアセンターからのお願いです。

http://rikutaka.ti-da.net/e3640669.html

2011年10月12日水曜日

10月日(月)広田町前花貝

埼玉早瀬チーム5名、私とtoyo&non,この日は岩手東山の伊藤先生が駆けつけてくださいました。

現場は茅場状態になってしまった田んぼの中にある流された家の解体と家財の収集。

ここも排水溝が塞がったためだろう全体に湿地化しており極めて足場が悪い。
長靴では立ち入れない水深なので橋を渡すことに半日費やす。

作業場所までは地タケが密生していたらしく伐採はしてあったが切り位置が高いため針の筵状態。
せっかく作業をした方々には申し訳ないが再度短く切り払って安全な道を確保する。

作業現場までの道作り、地竹の刈払いはサポーターnonが担当


草と違って竹の刈り払いは危険度が増す。破片が鋭いので飛び散る破片で怪我をすることがある。
伊藤先生指導の下、フルフェイスのマスクにすねガード、2点固定の作業ベルトに網エプロン、革手袋に踏み抜き防止インソウル入り長靴。


かなり大きな家だったのだろう。この柱は30センチほどの太さ。チェーンソーがなければ解体出来ない。重機使用が望ましいが水深のある湿地のため重機投入は無理そう。


午前中で作業を止め、東京埼玉の帰路につく予定だったが今後ここに入るボランティアさんの事を考えると出来るだけ大物だけは減らしておきたいと午後3時まで作業を続けることにした。


10月9日(日)気仙町神崎

前日と同じメンバーで道路を隔てた山側の場所。貯水池があり池にはたくさんのガレキが流れ込んでいます。池周辺には平らなところがなく足場が確保できない状況。
池の深さは胸ほどあり底はドブ状態。おそらく排水溝が塞がっているのだろう。水が腐って悪臭がきつい。ここでは防塵マスクより防毒マスクの方が欲しいところだがそこまでの準備はしていなかった。
胴付の長靴を履いての作業になるがあいにく水深はその丈を越えてしまう。
幸い天気も良く気温も23度ほど。胴ながに浸水するもかまわずの作業となってしまった。
 ガレキは奥の方に見えているものだけではなく全体に沈んでいる


池の中で作業したあと自力で出る事が難しいので手助けをしてもらって池を出る

濡れる作業と足場が悪いことから写真を撮る機会が少なかったので状況が伝わらないかな・・・