大事なお知らせコーナー

 Webサイトリニューアルについて
   6月から新しいサイトで陸前高田チームの情報を提供していきます。6月以降の情報はこちらから。


 

◎ 高速料金無料の申請について
2012年9月30日まで高速無料が延長されました。

 

少林寺拳法グループの方は今までどおり「陸前高田市社協VC」で受付番号をもらい、岩手県社協に確認申請し、折り返し送られた確認証明書を最寄りの行政機関に提出し、往復の災害車両証明書を発行してもらいます。
 不明な点がありましたら本部支援対策本部または畠山でお問い合わせください。


 ボランティア保険への加入
  事前に最寄りの社協で加入をお願い致します。また、現地で加入の場合本年1月からは有料(500円)になります。
4月からは新年度となりますので昨年度加入された方も再度加入していただくことになります。
 
 

◎ 陸前高田VCの休日について

   4月からVCの休日が毎週月曜、火曜の週休2日になります。

   ボランティア活動を予定されている方は日程の調整にご注意ください。



◎ 桜ライン311 募金活動用チラシについて
  桜ライン311実行委員会の意見を尊重してWeb上にチラシのサンプルを載せないことにしました。代わりに実行委員会作成のポスター(A4サイズ、PDF形式)を希望される道院支部の方にメールでお送りします。このプロジェクトに賛同し募金活動をして下さる方は畠山までご連絡ください。

 ◎桜ライン311プロジェクト口座
桜ライン311プロジェクトの支援金を募金しています。募金の全ては桜ライン311プロジェクトの支援金として実行委員会へ送られます。
ゆうちょ銀行:記号 10340 番号 14826641
         ショウリンジケンポウサクララインサンイチイチ

この口座を他金融機関からの振込口座として利用される際は次の内容をご指定ください。

[店名]〇三八(読み ゼロサンハチ)
[店番]038 [預金種目]普通預金 [口座番号]1482664

2月末日現在入間市少林寺拳法連盟、大阪府連盟、岐阜県連盟、熊谷北道院、JRグループ、モントレー支部、埼玉県議田中龍夫様から合計17万398円をお預かりしています。

桜ライン311



 




2011年8月31日水曜日

台風

本州に上陸が予想される台風12号の影響を考慮して陸前高田のボランティア活動は9月1、2、3日(木、金、土)の三日間中止になりました。
http://rikutaka.ti-da.net/e3579459.html

だるま祭in岩手(8月21日)



更新が遅れてしまいました。

8月21日(日)にだるま祭in岩手が陸前高田の拠点で行われました。

東日本被災地をすべてカバー出来るほどの施設ではありませんので近隣の関係者釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、本吉、歌津の被災された道院の道院長や拳士、保護者の方々に参加していただきました。
土曜の夜から日曜早朝にかけ、総裁以下14名のUNITYメンバーが到着。

休む間もそこそこテントを張ったりテーブルを並べたり着々と準備が進められたようです。
・・・ようですというのは、私はボランティア活動のグループとガレキ撤去等の方に出向いたのでこちらのお手伝いはほぼ準備が完了してからのことでした。

あいにくの悪天候、日中には時折大雨になるなど開催そのものが危ぶまれましたが夕方には小雨となり傘をさせば何とか凌げる天候になりました。

開始時間午後4時前におよそ100名の拳士、保護者の方々が到着。

飲食コーナーでは総裁の夏シチューを始めオニギリ、焼きそば、餃子、ポップコーン、ジャーマンポテト、ゆでとうもろこし、串さしウインナーなどが振舞われ、さらにこのだるま祭を支援に青森チームはホルモン焼きや海の幸の焼き物をもって参加していただきました。

イベントコーナーではヨーヨー釣りやクジ引き、ゲーム、寸劇?マルモリダンス、スイカ割りなどが行われました。
土曜夜のマルモリダンスの練習になぜか私も声をかけられ若い女性スタッフにもっと笑顔でと注意を受けながら一生懸命踊っている己の姿、見たいような見たくないような複雑な気持ちでした。
せめて一口でもアルコールが入ったなら大概のことはオーケーなのですが誰も・・・


だるまさんが転んだ!のゲームでは総裁が頭に猫耳を付けて奮闘。その総裁を見て猫豚!と呼びかけた子供拳士がいたとかいないとか・・・(総裁談)
なんと大胆なことを! 私が聞いていたならきっとその子を殴ったでしょう・・・ホントだってば!

和気合い合いと楽しく時が流れ最後は打上げ花火。
手持ちの花火もたくさん用意されていたようですが市販の打ち上げ花火をこれでもか!というほど用意してフィナーレはナイアガラの滝とスターマイン風。

花火担当チームはかなりリキ入っていました。

スタッフ皆さんの被災地の子供たちに一時でも笑顔をとの思いが間違いなく伝わったものと思います。
特に被災して道衣を流されてしまった拳士ひとりひとりに総裁の手から道衣がプレゼントされ受け取った拳士はとても嬉しそうでした。 きっとすばらしい拳士に成長してくれると確信しました。

こんな素晴らしい行事のスタッフの一員に加わらせていただきありがとうございました。


 小雨降る中だるま祭は始まりました。


 カメラマン大雄さんとの戯れ



ヨーヨー釣りが始まりました。


 餃子担当の何さんは中国が母国。専門家ではないが手作りで皮から・・・
包むのは埼玉入間から助っ人で来た田内道場長


 スイカ割、ケッコウ盛り上がりました。
応援する保護者の方が盛り上がっていたような・・・


 マジックボールって今でも人気あるんですね!後ろの大人も熱くなっていたけど・・・




 総裁の夏シチュー、意外とイケテタ!  (失礼(^。^;)


 このだるま祭への思いを・・・


 津波で道衣を流されてしまった拳士ひとりひとりに・・・


 総裁から直に頂いた道衣、ボロボロになるまで使って欲しいな


 だるまさんが転んだ!で鬼を務める総裁



行事最後は打ち上げ花火


この間に岩手東山の伊藤先生とその子供たちの寸劇?があったとか。
ちょうど鍋を洗いに会場を離れている間のことだったらしく見逃してしまいました。
どなたか動画ありましたらご提供をお願い致します。
この欄を追加編集します。






2011年8月25日木曜日

8月20日(土)

もう何度も参加されている東京三軒茶屋。
上野先生始め斎藤さん、笠島さん(初回)。
同じく度々なので回数がわからなくなってしまった岩手東山の伊藤先生。
埼玉入間の道場長田内さんがご主人と共に参加。
私の姪二人が(3回目?)さらに加わり前日と同じ小友町柳沢へ入りました。

 この日のボランティアセンターにはおよそ1000名の人達が集まりました。

現地は背丈を越えるまでに成長した雑草が・・・

雑草を刈り取ったあとの地面の中にガレキが埋まっています。
スコップや鍬で地面を掘り起こしながらガレキを拾い集めるひたすら地道な作業が続きます。

女性陣でもこの作業・・・

後列左から田内さん、上野先生、笠島さん、斉藤さん
前列左からワカちゃん(ボラセンスタッフ)、わたし、田内道場長、姪のtoyo,
non


ちなみにこのボラセンスタッフワカちゃんは埼玉県川越から何度も来てセンターで活動中。
この活動が終わったら埼玉入間に転籍復帰したいという元少林寺拳法拳士です。

そしてみんなが着ているオレンジ色のベストは上野先生が陸前高田でボラ活する方々用に提供してくださったユニホーム30着。胸にソウーエン、背中に「少林寺拳法」の文字がプリントされています。
ちょっと目立ちすぎかな・・・

8月18日(木)

元本部職員の落田さん(2回目)が参加してくださいました。
京都から車で来ていただいたわけですが例の薪を燃やす燃やさないの問題が絡んでビミョーな空気を感じつつの参加になってしまいました。
また、陸前高田で家屋全壊にあったNさんが他の被災した方のために少しでも力になりたいと私たちの仲間として活動を共にしていただきました。このNさんは五月の連休時に私たち少林寺拳法グループが活動した御宅の方です。
また私の甥が少林寺拳法サポーターとして一緒に活動しました。何回目だろう?
このブログに写真を提供してくれているTAKAYUKIです。

中央Nさん、右落田さん、右から二人目TAKYUKI



21日(日)にだるま祭in岩手が計画されていて私は鮎を仕入れる役目を仰せつかり、ボランティア活動のあとは漁師に変身します。
落田さん、Nさんに漁のお手伝いもしていただきました。

8月17日(水)

13日から16日の間はボランティアセンターもお盆休み。
でも私の連絡ミスから16日から活動する予定で愛知県の刈谷中部から斎藤さん(2回目)、葛原さん(2回目)、渕元さん(初回)が来れれました。 せっかくお出でいただいたのにボラセンは休みですので平泉など観光に行っていただくことに。
16日夜に埼玉入間から島田拳士(助教)が会社の仲間(飯島さん)を連れて到着。

ということで17日の活動は6名で行うことになりました。
今回は小友町の柳沢地区の草刈と瓦礫撤去なのですが、いつものことながら活動状況をカメラに収めていなかった!
18日朝に一応記念写真を・・・

手前左、斎藤さん、右、淵元さん、
後列左から畠山、飯島さん、島田さん、葛原さん




2011年8月15日月曜日

8月6日、7日(2)大阪府高石市の皆さん

この週末陸前高田では七夕が行われました。
6日に陸前高田小学校で前夜祭が行われここにも支援の方々が参加されました。
そのなかに大阪府高石市から来られた高石スポ少大場さん以下23名の皆さん。
ボランティアセンターの活動を行ったグループとは別行動ですが宿泊所にお泊りいただきました。
こちらのグループには高石市の市長さんや市議の方もご一緒でしたが部屋の都合上皆さんと一緒に雑魚寝していただくことをお願いいたしました。
高石市の皆さんからは宿泊所支援として水や毛布等たくさんいただいてしまいました。
宿泊所で利用させていただくと共に仮設住宅等にお届けしようと思います。
また、このときに大阪府少林寺拳法連盟様より義援金と武専の皆さんの寄せ書きをいただきました。本部に連絡すると共に有効活用させていただくよう調整中です。

 大阪府高石市の皆さん。前列中央が私。向かって右隣が阪口市長さん、左がスポ少大場さん


大阪府連さんからいただいた寄せ書きと義援金






2011年8月10日水曜日

 8月5日、6日、7日



今回の陸前高田入りに際して新しい試みとしてブログをツイッター風に使ってみたいという思いがありました。
ほぼリアルタイムに今私が現地入りしてくださった方々と何をどんな風にやっているかを逐一伝えられたら後日談としての私の拙い報告よりもはるかに現地情報が伝わるのではないかと思ったからです。
いざやってみて、ご覧のとおりでした。
ボランティアセンターまではリポーターの役を勤めようと思っていてつぶやいていましたが、活動場所に移動してみると思惑と現状が一致しない!用意していった道具が役に立たない。もっと効率よく疲労を軽減するには・・・・

ん?
ソニー支部の根本さんから活動報告。
そのまま転載します。

畠山先生

ソニー支部の根本です。
今回のボランティア作業では本当にお世話になりました。
心から感謝致します。
2日間の活動について報告させて頂きます。
自分勝手な考えの文章になってしまったと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。

********************
【8//5 の活動】
■03:30 陸前高田市VC到着、仮眠
■07:00 少林寺拳法の拠点へ移動
■メンバー(7名)
ソニー支部(3名)、三軒茶屋道院(3名)、参加メンバーの知人(盛岡市より1名)

【8//6 の活動】
■07:00 畠山先生到着
■08:00 航空自衛隊入間の方が到着
■メンバー(10名)

畠山先生、ソニー支部(2名)、三軒茶屋道院(2名)、花巻南道院(1名)、航空自衛隊入間(4名)

2日間の活動内容
米崎町の金野さん宅の畑(3面)からガラス片を取り除くことが作業です。
最初の挨拶時にボランティアに依頼するのは3回目と言われました。
お願いしたことがなかなか達成されていなかったように感じました。
でも、実際、畑中のガラスは危険です。
何とか要望にあった作業を行い、4回目の依頼がされないようにしたいものだと思い、作業を開始しました。
ガラス片を取り除く作業は、畑を耕すように地道に確認するしかありませんので、100%の農作業になりました。
VCからの作業指示は家の周りの草刈りということでしたので、持参した用具では効率的な作業にはなりませんでした。


作業途中で依頼者の方は、我々が畑を掘り起こしてガラスを取り除いているのを見て安心されたらしく、翌日は、ほじくってくれてんだね、信頼してるから任せるよ、と言ってくれました。(とてもうれしい言葉でした)
結局、2日間で3面中、2.5面までの作業とばり、最後まで終えることが出来なかったのは心残りでしたが、残りは次の方に託すこととなりました。


■2日間の活動を通して
2日目は大阪から祭りのサポートで20名の方が来られたので、我々は畠山先生のご実家の部屋を使わせて頂くことになりました。
先生から震災直後からの色々なお話をお聞きし、改めて畠山先生のされて来られた活動に深く感動致しました。
一人でも多く陸前高田に来てほしい。
どんな気持ちでもいいから、私がお願いすることでゴミを一つでも拾ってくれるのなら、いくらでもお願いするし、そしてそのことに感謝したい、というお言葉でした。
効率よくものごとを運ばないと復旧により時間がかかってしまいます。
しかし効率ではないという先生のお話から、先生がどれだけ真剣に今回のことと向き合って来られたかを逆に感じることが出来ました。
それは同時に私の心に中にあった考えをも引き出してくれました。
自分で気が付かないうちに、自分自身、以前よりも周りに対して優しくなっているのではという感覚に気が付いたことです。


私は、6月に来たときは、現地の方と話をするのがとても怖かったことを記憶しています。
それは被災された方へかける言葉を持ち合わせていなかったからです。
ただ瓦礫の撤去をするだけで、私にとっては精一杯だという思いでした。
それは今でも同じです。
ただ、自分自身の無力を感じるだけです。

神戸の震災時は「苦しみ超えて優しくなる」という言葉がありました。
今回のボランティア活動では、距離的な問題から直接の貢献時間がとても少なく、往復18時間かけて移動し、たった8時間作業をするということで、一体どれだけの貢献になるのだろうかということを自分自身へ問い続けております。とても苦しい問いです。
先生との会話の中で感じたのは、被災者の方よりも我々ボランティアの方がより大きなものを逆に頂いているのではないかというものです。
それは、現地の苦しみをこころで観て、感じて、自分の心が変化する、「苦しみ観(かん)じて優しくなる」というようなものです。
絶対的な自分自身の無力を直指することで、自分自身がより謙虚となり、その結果、生活の場である社会に対してより優しい思いで接するようになるというものです。
もっと自分にあった支援の形があるのではと効率を目指した場合、知らず知らずのうちに我々の自我を相手に押しつけてしまうことに成りかねません。

謙虚さを常に保つことはとても難しいことです。
復興計画が出来ていない状況下で、我々の自我の押しつけにならない調和の支援とは何かをしばらく追求し続けたい思います。
それは、絶対的な謙虚心で自分の内面と対峙し続けるという禅そのものであるかのようです。
もしかすると、現在、行っている活動こそが、地道ですがその答えに近いことなのかもしれません。


また、仲間と一緒に来たいと思います。

写真:耕してます。


写真:ボランティアによって、友人と10年ぶりに再会することが出来ました。



写真:ここまで津波は来ました。右奥に見える赤丸内の青い塔のてっぺんがチャプチャプ見え隠れする状態だったそうです。
また、震災前は、家が建ち並び、ここから海は見えなかったそうです。



写真:この状況は変わりません。6月にもありました。





写真:この状況は変わりません。



写真:畠山先生、有り難うございます。



写真:一関方面、343号から陸前高田に入るT字路の橋です。きれいです。6月は瓦礫の山でした。

2011年8月7日日曜日

一関

やっぱり続かなかったつぶやきブログ。

帰宅後報告します。
しかし、やたら眠い…

2011年8月6日土曜日

七夕会場

ボラを離れて七夕会場の高田小学校に来ました。バス遅れてるかな?

ボラセンなう

道具を持ってて
たいして混んでない一関

小雨

霧雨程度。気温多分20度くらい。さてそろそろ走るか…

長者原SA

小休止

工事

高速代無料だし文句は言わないさ〓

渋滞だと!

事故かな?

腹八分

これくらいがこの時間には大事。さて出るか。
次は仙台辺りかな

佐野サービスエリア

一服…というより夕飯食べてなかった。定番佐野ラーメンを

佐野SA

一服っつうか夕飯食べてなかった。夜食を兼ねて定番佐野ラーメンを

2011年8月5日金曜日

準備よし

忘れ物ないな…
出発

間もなく出発

今回はブログをツイッターのように使って更新してみようかと思います。
けっこうタイトなスケジュールなので途中で断念するかも知れませんが頑張ってみます。

2011年8月2日火曜日

7月30日、31日

29日深夜埼玉を出て30日7時に横田着。実家で朝食を用意してもらい、8時に宿泊所に行くと武道学園の皆さん21名、秋田県連の4名、すでに着替えを終えて待機中でした。挨拶もそこそこにボランティアセンターに移動。
大型バスが駐車場に入りきれず国道で待機するバスも。ボラセン渋滞は土曜の風物詩となっている。

この日は気仙町長部漁港のガレキ撤去等。漁港全体が1メートル近く沈下したため復旧の目処がっ立っていないせいかまだほとんど手つかずで津波の傷跡がそのまま残っているところだ。
数百メートルに及ぶ現場からこの日のエリアを決めて作業開始。手作業で散在するガレキを拾い集め分別しながら集積していく。やってもやってもかたづいたという達成感がない、辛い作業だ。


この日はふた班に別れ、鉄骨の倉庫と防波堤の間に押し流されたトタン屋根や漁網を撤去するという危険度の高い作業も行われた。作業が始まってしまうと没頭してカメラを取り出すことも思いつかない。

地盤沈下しているため満潮になるとここ一帯が水没してしまう。午後2時、満潮が近いため作業中止しセンターに戻る。

学生さんたち明日この場所を見れないのがよかったかもしれない。潮が引いた後には昨日の作業開始前と同じような光景を見ることになるのだから・・・


31日は武道学園の皆さんと入れ替わるように三間茶屋、慶應理工、蕨スポ少の皆さんがこの現場を引き継ぐ。
岩手東山の伊藤先生が今週も駆けつけてくださいました。


倒された電柱に漁網や電線、ロープ、そして木材片がぐしゃぐしゃにもつれ合って重なっている。
カッターやハサミ、ペンチなどを使いながら地道に切り刻んでいく。
電柱を移動したくても重機はない。人力、それしかない。


二日目もこのエリアのケリがつかなかった。早く撤退しないと車が脱出出来なくなってしまう。

残念ではあるが記念に集合写真を撮って早々に引き上げる。
波が岩壁に上がり始めた・・・