10月29日に活動をされた学生さんたちからリポートが届きました。
≪11.10.29 ボランティア活動を終えて≫
日本武道館武道学園 及川昌浩
震災から7か月半が過ぎた10月29日、道場の仲間たちとともに、初めて被災地・陸前高田を訪れました。道場の仲間は、夏に一度現地を訪れています。現地の惨状と、作業の様子を耳にするたび、参加したかったという思いが強まる中、再度仲間とともに陸前高田を訪問する機会を得ました。
今回のボランティアセンターで割り付けられた活動は、漁港にある側溝の掃除でした。水産業に従事する父の背中を見てきた私にとって、漁港は特別な意味のある場所です。津波が運んできた泥やガラスの破片、木材などがつまり、もはや役目をはたせていない側溝の『復元』。私たちが活動する傍らでは、漁業者の皆さんが漁の準備をされていました。私は途中で指を傷め、恥ずかしながら脱落してしまいましたが、午後3時に作業が終わった際には、役目を果たせなかった側溝が、本来の役割をはたせるようになっていたと聞きました。
大人24人でも、一日かけて小規模な漁港の一部を『復元』するのが精いっぱいという現実を前に、先は非常に長くても、個々人の力を皆で出し合い続けることの意味を、少しとはいえ、わかることができたと感じています。
陸前高田は決して近い場所ではありません。移動には往復とも、バスで長時間揺られ続けることになりますが、また次回も、ぜひ機会を作って、私のできることをさせていただきたい・・・そんな思いを強くしました。
日本武道館武道学園 冨永眞哉
午前6時、東京から夜行バスで7時間、陸前高田市を初めて訪れました。同じ道場の仲間と共に、全国各地からの有志と災害ボランティアセンター(VC)で合流しました。各チームに割り当てられた作業ポイントに向かう途中、現在も弱震が観測されるため「常に高台をチェック」、散乱物には「鉄釘やガラス片があり怪我や破傷風等の対策が必要」と注意事項を伝えるVCの方の真剣な表情から参加した皆さんも緊張感が感じられました。現場では、漁港の側溝の汚泥除去、生活道路を確保することが主な目的でしたが、慣れない作業が予想以上にはかどらず、人海戦術には限界があると痛感、それでも朝方に比べれば大分きれいになっていったと思います。チームワークによる充実感とともに現場を後にしましたが、復興の道程を思うと私には虚無感が押し寄せ、海外の友人が「東北は大丈夫か、日本が心配だ」と言ってくれたことを思い出していました。時間と共にメディアが遠のくように、最近はそのような声も聞かれなりつつありますが、継続的、反復的な関わりが必要と感じます。VCには多くのニーズが寄せられ、前のボランティアの作業を引き継ぐかたちでの力が求められており、行動で応えている人たちに触れ、点と点をつなぐように支援活動が続いていることを改めて感じます。
日本武道館武道学園 及川愛
今回は2回目の参加ということで、前回(7月)よりどれくらい街の復旧作業が進んでいるかが一番気になる事項でした。土曜の朝、少し早く着いたこともあり、前回作業させて頂いた長部漁港を見に行きました。
前回の活動後の畠山先生のブログで
「学生さんたち明日この場所を見れないのがよかったかもしれない。 潮が引いた後には昨日の作業開始前と同じような光景を見ることになるのだから・・・」
と書いてあったのを拝見し、「前とそんなに変わっていなかったら…」とすごく不安だったのですが、山のようにあったガレキがすっかりなくなっており、驚きとある種の安堵が沸き起こりました。(他の前回参加者のみんなも同様の反応でした)もちろん、壊れた倉庫や事務所ビルはそのままだったので、まだ復旧の時点にも到達していないのですが、少しずつでも復興に前進されていることを私にとって感じたひと時でした。
今回の作業は獺沢漁港の側溝の土砂の取り除き作業でした。それほど範囲が広いわけではなかったのですが、土の重さと細かいガラスの破片の影響でしょうか遅々として作業が進まず、結局自分の中ではすごく中途半端な状態でおわってしまい、残念でした。
船が港に付いており、又海にも養殖用の筏が並んでおり、皆さんが通常の暮らしに戻るべく努力をされている状況を見させていただき、私たちが「ちょっと頑張れば出来ること」と感じるものが、現地の皆さんには「そのちょっと」が本当に難しいのだと、改めて学ぶことが出来ました。
今までは「“復興”という道路の真ん中に横たわる大木を取り除く」作業がボランティア活動の主であった部分が、これからは「復興への道を進まれる皆さんの横に転がる障害物を取り除いて、少しでも歩きやすくする」作業が増えていくのだと思いました。
今後も本当に皆さんのお役に立てるような活動をしたいと思っています。また次回行かせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。