およそ9時間かかりました。 乗用車と違いけっこう疲れました。
テントも4張り
実はこの日はセンターの移転だったのです。
なんと私たちの拠点の目の前に引越し中だったためほとんどボランティア活動には集中できてなかったような・・・
移転してきた社共災害ボランティアセンター
秋田県連から視察に来られた川村先生、大分から個人でボランティア活動していてたまたま知り合った大分の石黒拳士。
お二方共にお手伝いいただき拠点となる宿泊所がより充実した環境になりました。
翌日はボランティア活動もご一緒していただきました。
挨拶もそこそこに案内板作成依頼
テントも充実
25日は悪天候で活動中止
26日は快晴に恵まれ、気仙町長部地区へ
たまたま近くで道路工事をしていた業者にお願いして重機で・・・
重機が入ってもこの状態。
沖縄チームとの合同活動でしたがお手上げでした。
27日にいったん埼玉に戻り再び拠点入りしたのが5月1日。すでに全国から多くの先生方、拳士の方々が集結していました。 なにせ初対面の方がほとんどなのでお名前を覚え切れません。
確認した後、ご紹介させていただきます。
入れ違いでお会いできなかった先生もおられました。
三軒茶屋道院の上野先生から安全靴20足、寝袋20個等拠点活動の必需品を、その後も北海道、秋田、三重、新潟、東京、神奈川、静岡、徳島の県連や道院から拠点支援物資がたくさん届きました。 着の身着のままで来られても十分対応出来るほどです。
5月3日からは一般のボランティアも増え、300名ほどが活動を行ないました。
3日の朝の拠点も大忙し・・・、お昼のおにぎりをみんなで・・・
この日は本山藤井先生、元本山職員落田さん、茨城つくばの瀬戸先生、後藤先生・・・
くじ引きで決まったわけではありません・・・
くじ引きで決まったわけではありません・・・
3日は2箇所に分かれて活動。
こちらは竹駒町の小学校までの通学路にあたる歩道のがれき撤去。
砂川道院の池上先生、北海道院の宮末先生を筆頭に少林寺拳法サポーター(私の息子、甥、姪達)
3日午後到着された小千谷中部の田村、濱中両先生は大工さんが本職?
新井会長からお預かりしたソーエン旗を先発隊が持ち込んだ資材を使ってあっという間に表に張ってしまった!!!
午後からは移動中の小坂井道院佐竹先生と刈谷南の米田先生?たち。
佐竹先生は何日もお風呂に入ってないという事なので特別待遇・・・
兄宅で内風呂を使っていただき湯上りの一杯を・・・
こちらでお休みしていただきました
後ろ左は禅林学園から単独参加の吉田さん、いつの間にか厨房でもフル回転
料理長と呼ばれるように・・・
藤井先生が居られたからやるっきゃなかったのかも・・・
ありがとうございました。
刈谷中部の片岡さん、斉藤さん、葛原さんはこの日から6,7日までいっしょにボランティア活動を行ないました。
右はUNITYの向田先生、5日から。
画像はありませんでした、すみません岩手東山の伊藤先生。
この他にも新井会長と同行されていた新潟県連理事長夏川先生始め私のカメラに収まっておられない先生、拳士の方すみません。
5、6日は引き続き高田町のりんご園さん。延人数で百人近く入っていると思われますが、それでもまだこの状況・・・
陸前高田チーム以外のボランティアグループと分担してやっていますがまだ先が見えません。
休憩中の一こま・・・
7日はここりんご園さんの作業が終わったわけではありませんが、近所の方がここでの陸前高田チームの活動を見ていたらしくご指名がありました。
基礎と床板の一部が残っただけ。敷地周囲や庭にたくさんの植木がありとても大事にしていた様子がわかります。しかし、ここに自宅再建は禁止されました。それでもご主人はがれきをきれいに片付けて心の整理をしたいとの事でした。
このお宅の屋根の高さ以上の津波がすべてを流してしまいました。生き残った植木もいずれ切り払われる運命なのですがその日が来るまで生きているものを生かしたいというので選別しながらチェーンソーとのこぎりで切り払いました。
午後はこの床板を取り外して床下の汚泥をと思いましたがそこまで作業は進みませんでした。
せっかく生き延びる事が出来たのにここに生き続ける事が許されない運命の木々たち、短い間でも精一杯生きてくれ。道行く人達の心に僅かばかりでも癒しのひと時を与えてくれ。
いずれ更地にされるところだから放置してもいいはずなのですが、一本一本丁寧に鋸で切り倒していく向田先生、何を思いつつ作業をしていたかは伺いませんでした。
画像はありませんでした、すみません岩手東山の伊藤先生。
この他にも新井会長と同行されていた新潟県連理事長夏川先生始め私のカメラに収まっておられない先生、拳士の方すみません。
5、6日は引き続き高田町のりんご園さん。延人数で百人近く入っていると思われますが、それでもまだこの状況・・・
陸前高田チーム以外のボランティアグループと分担してやっていますがまだ先が見えません。
休憩中の一こま・・・
岩手東山の伊藤先生、画像がありましたので追加・・・左後ろ
手前左は少林寺サポーターの女子(姪)
服装はご覧の通りヘルメットに安全靴・・・
7日はここりんご園さんの作業が終わったわけではありませんが、近所の方がここでの陸前高田チームの活動を見ていたらしくご指名がありました。
基礎と床板の一部が残っただけ。敷地周囲や庭にたくさんの植木がありとても大事にしていた様子がわかります。しかし、ここに自宅再建は禁止されました。それでもご主人はがれきをきれいに片付けて心の整理をしたいとの事でした。
このお宅の屋根の高さ以上の津波がすべてを流してしまいました。生き残った植木もいずれ切り払われる運命なのですがその日が来るまで生きているものを生かしたいというので選別しながらチェーンソーとのこぎりで切り払いました。
午後はこの床板を取り外して床下の汚泥をと思いましたがそこまで作業は進みませんでした。
せっかく生き延びる事が出来たのにここに生き続ける事が許されない運命の木々たち、短い間でも精一杯生きてくれ。道行く人達の心に僅かばかりでも癒しのひと時を与えてくれ。
いずれ更地にされるところだから放置してもいいはずなのですが、一本一本丁寧に鋸で切り倒していく向田先生、何を思いつつ作業をしていたかは伺いませんでした。
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