初日24日に活動していただいたところは偶然にも私の母の実家のあったところでした。
3枚目の写真バスの右斜め前の一角に母の実家。バスの前方のT字路が父の姉の嫁ぎ先。
そんな関係で小さい頃の思い出がいっぱい詰まっている町、気仙町です。
けんか七夕、引いていました。というよりぶら下がっていた。運動会の綱引きのような太いロープにそれぞれの街の人たちが力を合わせて七夕を引くのです。仙台七夕のように固定されたものではありません。動く七夕なのです。
夜になるとそれぞれの七夕をぶつけ合って綱引き状態になり、七夕の上に乗った大人たちは竹竿で殴り合いの喧嘩になります。時々落ちてあるいは殴り合いになって大怪我する人たちもいました。
さすがにその実践けんか七夕は時と共にルールが決められ安全に和やかに行われるようになったことは少し寂しさはありますが当然のことと思いました。
今年も例年通り帰省する人、観光の人を迎えて楽しい七夕が見られるだろうと思っていましたが津波がこの町を襲いすべてを飲み込んでしまいました。
しかし、陸前高田を象徴するように生き延びた一本松と同じように奇跡的に生き延びた七夕の基がありました。
TAKAYUKI 7/6撮影
来週6,7日に行われる陸前高田の七夕にけんか相手のいない七夕が一基参加とか。
本来ならライバルであろう隣町は七夕そのものが作れない。今年はこの生き延びた台車を協力し合って作り、けんかしない七夕を引くことになるという。
出来れば私もロープの一端に加わりたい・・・
陸前高田では7日、ガレキ撤去等のボランティア活動を中止し、七夕を行います。遠方から七夕を支援に来られる多くの方々がおられます。私はその方々の支援を行おうと思います。
遠方から支援に駆けつけていただいた末吉さん、ありがとうございました。
あなたが拾ってくださった一個一個の瓦礫、ゴミではありません。不本意にも処分されなければならなくなった生活必需品の一部です。そしてそれを不本意であっても処分しなければ今年の七夕は行えないのです。また、そうしなければ町の復興は有り得ないのです。
あなたが陸前高田に来て活動してくれたこと、私は一生忘れません。
0 件のコメント:
コメントを投稿